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誰もが知っているシャトルコック。
それもエディー・バウアーの歴史の一部です。
こどもの頃、誰もが親しんだことのあるバトミントン。
そのシャトルコックを完成させたのも、エディー・バウアーでした。欧米ではまだバドミントンがそれほど盛んではなかった時代、選手たちにとっての悩みはシャトルコックの羽の重さがまちまちで、安定したプレイが望めなかったことです。
エディーバウアーは、特別
にあつらえたコルクと仔山羊の皮とグースの尾羽を使って、鳥が飛ぶように軽やかで軌道の安定した、当時としては画期的なシャトルコックを完成させました。「まるで宝石を扱うように注意深く、すべてのサイズを測り、同じ重さの羽を作ることに成功した」とエディー・バウアーが語るこのシャトルコックは正式な選手権試合に採用され、バドミントンを一気に世界のスポーツとして普及させました。
1920年、シアトルにスポーツショップを開業。
その男、弱冠二十歳。
「エディー・バウアー」ブランドの誕生でした。
10代の頃から自分で使いこなすための満足のいく道具が欲しくて、竹でフライロッドを作り、ヒッコリーでゴルフクラブを作っていたエディー・バウアー。
すべてが実際に自分が楽しむためのものばかりでした。
中でも得意だったのがテニスのガット張り。当時盛んだった、正確さと速さを競うコンテストに出場し、1本18分の記録で優勝したこともあります。その得意のガット張りを売り物に、1920年シアトルにテニスショップを開業。
ただ、もともと自分が楽しむための道具やウエアを求めていた
彼の探求心がそこでとどまるわけはありません。次第に、フィッシング、ハンティング乗馬などさまざまなスポーツ商品にも扱いを広げていきました。
しかし、釣りはプロ級、テニス、ゴルフ、スキー、ハンティング、カヌー・・・やらないスポーツはないというほどスポーツ万能、遊びの達人である彼を満足させる道具やウエアはそう多くありませんでした。
二月から八月までは休みなく働き、残りの半年は大好きなアウトドアスポーツを楽しむというエディー・バウアーのライフスタイルから生まれた「自分で作り、自分で試す」という行動力。時には生死にかかわるアウトドアライフだからこそ彼のこだわりは徹底的に満足のいく商品開発へと向けられました。そして、「どこを探しても売っていないものならば、自分で作るしかない」と決心した彼は、エディー・バウアーというひとつのブランドの歴史以上に、アウトドアライフそのものの歴史に刻まれるダウンウエアを誕生させたのです。
代表的なアウトドアウエアのダウンジャケット。
その歴史も、エディー・バウアーから誕生しています。
「ダウンといえばエディー・バウアー」と今でもアメリカでは言われ続けているのには理由があります。ある真冬の日、エディー・バウアーは友人と釣りに出かけました。そこで彼は厳しい寒さとみぞれに見舞われ、当時着用していた防寒着は濡れて重くなり、吸い込んだ水分は凍り、まさに凍死寸前の苦い経験を余儀なくされたのです。そのとき彼の頭によぎったのは、冬の釣りを断念することではありません。自分で最高の防寒着を作り、より安全により行動的に真冬の釣りを楽しもうと考えたのです。
こどもの頃、日露戦争中にコサック兵であった叔父から聞いていた「羽毛が優れた断熱性を持っている」という話をヒントに、翌1936年、合衆国特許第119122号、初のダウンジャケット「スカイライナー」を誕生させました。
その後エディー・バウアーは、1953年K2ヒマラヤ遠征隊をはじめ、1963年アメリカ初のエヴェレスト登頂の成功や、1978年北極圏バフィン島探索などを、遠征登山や探検に関する依頼、装備、日程までのすべてをコーディネートするアドバイザー役としてサポート。「エクスペディション・アウトフィッター」という特別な称号で呼ばれつづけたのです。またこれらのサポートはエディー・バウアーの「自分で創り、自分で試す」というポリシーをさらに深化させた、究極の商品テストでもあったのです。
創業わずか2年目に掲げた“クリード”と“ギャランティ”。それは「皆様に喜ばれる商品でなければ、自分の名をつけて売らない」という絶対の自信と責任から生まれたポリシーです。今もその伝統は守られ、本格的なアウトドアウエアから日常のタウンカジュアルまですべてのエディー・バウアー製品に生きています。
自然とのふれあいがより求められている現代だからこそ、彼によって培われたノウハウと遊び心が着る人を心地よくさせてくれる。ナチュラルなコットン素材のカジュアルウエアから、シューズやバッグなどのグッズに至るまで、「エディー・バウアー」は皆様に満足のゆく、くつろぎとリラックスをお届けします。
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