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4月 242017
 

CBCテレビ によると。

 2度のオリンピック出場や世界選手権で3回優勝するなど、多くの人に惜しまれながら先日引退しました。

 浅田さんは引退後初の仕事として、名古屋に本社があるウォーターサーバーのテレビCMに出演し、25日からの放送を前に記者会見が開かれました。

 「名古屋でまたスタートを切ることができて、新たな気持ちでスタートできている」

 引退してからの生活については、「たくさんの友達にお祝いをしてもらって、みんなで一緒にご飯を食べたり、楽しい時間を過ごしていました。」(浅田真央さん)

 ところで、愛知県が新たに設けた県民栄誉賞の第一号として浅田さんが受賞することが24日、正式に決まりました。

 「私は愛知県で生まれ、第一号の名誉ある賞を頂き、すごくうれしく光栄なこと。スケートとともにお歩んできて、スケートにお世話になったので、今後も何か違った形でスケートに恩返しができればいいな」

4月 222017
 

THE ANSWERによると。

 フィギュアスケートの世界国別対抗戦(代々木第一体育館)は競技最終日の22日、ペアと女子シングルのフリーが行われる。3大会ぶりの優勝がかかる日本は、最終種目の女子フリーで樋口新葉(日本橋女学館高)と三原舞依(神戸ポートアイランドク)が登場する。ともに自己ベストをマークしたSPで5位の樋口が第2グループ第2滑走、三原が同第4滑走となった。

 絶対女王のエフゲーニャ・メドベージェワ(ロシア)は最終滑走となる第2グループ第6滑走で登場する。

 日本は2日目を終え、2位米国に3点差の首位。ペアにはSP6位の須藤澄玲、フランシス・ブードロオデ組が出場し、女子フリーで最終順位が決まる。10代の若き2人が日本の優勝の行方を担う。

 女子フリーの滑走順は以下の通り。

○第1グループ

16:57:30 マエ・ベレニス・メイテ(フランス)
17:05:20 ローリン・レカヴェリエ(フランス)
17:13:10 アレイン・チャートランド(カナダ)
17:21:00 李子君(中国)
17:28:50 カレン・チェン(米国)
17:36:40 李香凝(中国)

○第2グループ

17:52:00 アシュリー・ワグナー(米国)
17:59:50 樋口新葉(日本)
18:07:40 ガブリエル・デールマン(カナダ)
18:15:30 三原舞依(日本)
18:23:20 エレーナ・ラジオノワ(ロシア)
18:31:10 エフゲーニャ・メドベージェワ(ロシア)

4月 212017
 

日刊スポーツ によると。

 浅田真央は、9社とCMやイメージキャラクターの契約を結んでいるが、全社とも引退後も変わらぬ支援を続けるとした。8社の担当者が浅田の魅力を語った。

 ◆ネピア 16歳の頃(06年)からのお付き合いです。柔らかくて、ピュアで、技術があるという点で大変親和性がありました。浅田さんの愛犬限定パッケージなどコラボ商品は毎回好評でした。練習だけでなく、大会でも当社の鼻セレブを愛用してくれていました。

 ◆ロッテ 滑らかなスケーティングは弊社を代表するガーナミルクチョコレートの口どけを表現するのにぴったり。おかげさまでCMは好評、売り上げも好調です。

 ◆JAL 練習への取り組み、常に世界NO・1を目指し挑戦されている姿勢に共感。海外への移動を手伝いたいとの思いから13年に締結しました。

 ◆エアウィーヴ 09年から海外遠征で愛用されていたこと、ベストを求める姿勢に共感し11年から契約しました。常に前を向く姿に多くの勇気と学びをもらいました。

 ◆総合教育・生涯教育機関ECC 夢に向かって努力する姿に共感、国際社会で活躍できる人材の育成という理念に合致しました。だれをも包み込むようなピュアな笑顔、表裏のない素直な人柄が素晴らしい。

 ◆アルソア化粧品 16歳から当社のせっけんを使用してくれていました。外見だけでなく、心、生き方、挑戦する姿、女性のすべての美しさを伝えるのにもっともふさわしい方です。

 ◆佐藤製薬 幅広い世代の方への人気、かぜで苦しむ人々を元気にさせる、というストナのブランドイメージとフィギュアスケートを通じ世の中を元気にする姿が合致しました。

 ◆住友生命 スケートが好きという気持ちを力に進む姿を「好きこそ、無敵」という16年のテレビCMで描き、大変な反響を集めました。成績こそ低迷したともいえますが、その圧倒的な存在感は色あせることはなかったと考えています。

 博報堂DYメディアパートナーズが08年から実施する「アスリートイメージ調査」では常に上位にランクイン。特に「清潔感」の項目はずっと1位を保持している。担当の武方浩紀さん(45)は「日本社会で群を抜いて支持されている。知名度、好感度ともに、イチローに並ぶアスリートです」と説明した

4月 202017
 

毎日新聞 によると。

 4月10日に引退表明したフィギュアスケート女子の浅田真央さんの軌跡を振り返る雑誌「サンデー毎日増刊 永久保存版 ありがとう 浅田真央 2002~2017」が24日、毎日新聞出版から発売される。オールカラー、100ページで980円。

 2002年、12歳当時の秘蔵写真のほか、2005年のグランプリファイナル初優勝、バンクーバーとソチの両冬季五輪の名場面、最後の全日本選手権まで、毎日新聞社だけが持つ写真を余すことなく収録した永久保存版だ。4月12日に行われた記者会見の様子のほか、浅田さんの代名詞といえる「トリプルアクセル」(3回転半ジャンプ)を世界で初めて成功させた伊藤みどりさんや、バンクーバー五輪に一緒に出場した安藤美姫さんのコメント、6歳から練習をともにしてきた小塚崇彦さんのメッセージなどを収録している。

4月 182017
 

ダイヤモンド・オンライン によると。

 引退を惜しむ声は日本だけでなく世界中から聞こえてきた。ファンはもちろん、メディア、ともに戦ってきた選手たちがこぞって浅田の功績を語り、今回の決断を重く受け止めていた。そのことからも彼女がいかに多くの人たちから愛された選手だったかがわかる。

 浅田が残した輝かしい実績やフィギュアスケート選手としての凄さ、人柄の良さなどは引退発表後、メディアで語り尽くされているので、ここでは触れないが、それとは別の大きな功績を挙げておきたい。人々の五輪競技の結果に対する受け止め方を変えたことだ。

● 浅田真央がソチ五輪で変えた 最後までやり遂げることへの評価

 五輪競技では、メダルが獲れたかどうかという結果が重視されてきた。もちろん選手たちもメダルを獲得するために努力を重ね、五輪に臨む。だから、それを成し遂げた瞬間は感動のシーンが生まれ、選手は称賛される。しかし、メダルに手が届かなかった時は、期待外れということで、それまでの頑張りが評価されることはほとんどなかった。

 そんな人々の五輪競技の見方を浅田は変えた。2014年のソチ五輪で見せた姿でだ。金メダルが期待されていた浅田だが、ショートプログラムではトリプルアクセルを含めた3回のジャンプをすべて失敗する散々な出来で、16位に沈んだ。メダルは絶望的だし、自信も失っただろう。心が折れてもおかしくない状況だ。ところが翌日のフリーでは、打って変わってすばらしい演技を見せた。ジャンプをすべて成功させるほぼ完璧な演技で142.71点という高得点を得、6位にジャンプアップした。

 ショートプログラムの後、浅田は相当落ち込んだようだ。その晩はショックでほとんど眠れなかったといわれる。フリーに臨むには最悪の状態だ。しかし、浅田は見事に立ち直った。佐藤信夫コーチや姉の舞さんの叱咤、選手仲間や友人の激励メールなどに勇気づけられ、ベストを尽くすことだけに集中した。それが、前日とは見違えるフリーの演技につながったわけだ。

 ファンは、たった1日で立ち直った姿に目を見張った。メダルのことはどうでもよくなり、すべてを出し切ろうとする浅田を心から応援し、それを成し遂げた姿に感動した。メダルは手にできなかったが、ソチ五輪のこの演技で浅田は伝説を作ったといえる。

 その後も五輪でメダルが期待されることに変わりはないが、浅田が見せた姿によって、競技を見る側にはメダルという結果だけでなく、選手のベストを尽くす姿を評価しようという傾向が生まれたように感じる。その意味で浅田がスポーツ界に残した功績は大きい。

 そんな存在だったからこそ、そして平昌五輪を1年後に控えた時期ということも重なって、彼女の引退発表は多くの人に惜しまれたわけだ。

4月 172017
 

スポニチアネックス によると。

 フィギュアスケートの浅田真央さんの引退を受けて、会見を開いた荒川静香さんはアスリートの引き際についてこう述べた。「誰もが自分の最後をどこにするかというのは一番難しい問題。思い通りにはなかなかいかないもので。ピークは過ぎてみないとそこがピークかどうか分からないですから。ピークの時はもっと先があるような気がするし、過ぎてみたからこそ分かるピークもある」。

 荒川さんは22歳で世界選手権を制した03―04年シーズンが自身のピークだったと振り返る。「私自身(06年)トリノ五輪までやるとは思わなかった。もう何度やめそびれたことを悔やんだことか分からない。04年から06年にかけて“本当はあそこがやめ時だったのでは”と考え続けた」。04―05年シーズンの全日本選手権では足を負傷してフリーを棄権。世界選手権も9位に沈んだ。何度も心は折れかけたが、やめなかった。結果的に24歳で迎えた06年2月のトリノ五輪まで続けたことで金メダルを獲得。そのシーズン限りで引退した。「最後にここまでやって良かったなと思えれば、それがどんな結果であれいいのかなと」。荒川さんは有終の美を飾れたからやめたのではなく、自分自身が「やりきった」と思える時が来たからやめたのだろう。

 浅田真央さんは引退会見で自身の引き際について「ソチ五輪のシーズンで自分が選手を終えていたら“今もまだできたんじゃないか”と思っていた。でも、自分が望んでチャレンジした結果なので本当に今は何もやり残したことはない。そういった意味でもう一度自分でチャンレンジすることができて良かったと思います」と言った。五輪後に1年間の休養を挟み、復帰したからこそたどり着いた境地。後ろを向いて最後に涙こそ流したものの、その言葉と表情には「やりきった」というすがすがしさがあふれていた。

 競技は違うが、こんな考え方もある。30歳にしてスピードスケート女子500メートルの絶対女王となった小平奈緒は「あまりピークという考え方はない。(アスリートは)20代後半が一番いいとかは先入観でしかないと思うので、私の中での競技人生という部分で生き抜くことができれば素晴らしい。高め続けたいという気持ちはぶれない」と、今もなおスケートを追求している日々。自らの引き際について考えたことすらない。「500メートルの私のレースと一緒で最後の100メートルを駆け抜けるように(来年2月の)平昌五輪も駆け抜けていきたい。だから、その先も何年続けるかとか、そこでやめるのかとかも自分の中でも分からない」。フィギュアスケート男子の羽生結弦、スキージャンプ女子の高梨沙羅らとともに金メダル候補であることは間違いないが、今のところ重圧も感じていない。小平がやめることを決断するのは「やりきった」という時よりも「スケートを追求できなくなった」時なのだろう。

 アスリートの引き際に対する考え方はさまざまで、それが正解だったのか不正解だったのかは本人にしか分からない。王貞治は最後のシーズンで30本の本塁打を放ちながら「王貞治としてのバッティングができなくなった」とバットを置き、千代の富士は貴花田に完敗して「体力の限界」を悟り土俵を去った。現役選手にとって最も難しい問題だからこそ、その人物の生き方が鮮明に浮かび上がる。選手の引退を「引き際の美学」なんて格好いい一言で片付けてはいけない

4月 152017
 

スポニチアネックス によると。

 世界の最前線を走りながら、年齢制限に阻まれて夢舞台に立てない女の子がいるのは、報道などで知っていた。初めての取材は06年3月2日。トリノ五輪を制した荒川静香が帰国した2日後、15歳は世界ジュニア選手権に向けて出発した。

 エネルギーに満ちた演技を初めて会場で見たのは1年後の07年3月、東京体育館で開催された世界選手権。ショートプログラム(SP)は「ノクターン」、フリーは「チャルダッシュ」だった。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を決め、コンビネーションが成功すると演技中でもガッツポーズ。目の前には、リアルに天真爛漫な16歳がいた。

 あれから、10年以上が経過した。現役を退くまで取材することになるとは、想像できなかった。全ての試合を取材したわけではないし、少し担当を離れていた時期もあったけれど、オンアイスとオフアイスでさまざまな表情を見てきた。フランス・ニースの街角で「こんにちは!」、深夜の羽田空港で「こんばんは!」。驚いて振り向くと、声の主はいたずらっぽく笑っていた。

 次に記すのは、個人的なイメージである。10代だったバンクーバー五輪までは「元気」。最愛の母・匡子さんを11年12月に亡くし、ジャンプの立て直しにも苦労したソチ五輪は「憂い」も加わる。1年の休養を経て復帰した直後は好調だったが、左膝痛もあってパフォーマンスは低下し、「苦悩」を見ることが増えた。それでも、この10年を振り返ると、やっぱり笑顔の印象が強い。

 演技が始まる前、選手名がコールされる。日本なら「あさだ、まおさん」、海外なら「マオ、アサ~ダ」。実はこの時、ボクは文字通り、手に汗握っていた。これからどんなパフォーマンスが見られるのか、トリプルアクセルは大丈夫か、ジャンプは全て決まるのか。スタート位置につくまでいろいろと思いをめぐらせ、手を見ると本当に汗をかいている。つまり、それほどにこちらも緊張していた。

 現役引退を発表し、勝負のリンクに別れを告げた。もう、あの緊張感は味わえない。もう一度、ノーミスの演技を見たかった。そんな思いは、会見での晴れやかな表情と「気持ちも、体も、気力も全部出し切ったので、何も悔いはないです」という言葉を聞けば消え去った。浅田真央さん、いや、この呼び方はなにか違うな。真央ちゃん、本当におつかれさまでした

4月 142017
 

中央日報日本語版 によると。

一方、浅田は恐ろしく追い上げてきたキム・ヨに勝つために、トリプルアクセルにこだわった。ジャンプの高さが低く、滞空時間が短くて成功率は落ちた。それでも意地を曲げなかった。結局、浅田はキム・ヨナに逆転された。2007~08年シーズンまで4勝3敗で浅田が少しリードしていた。だが、その後、9回にわたる正面対決でキム・ヨナが7勝2敗、絶対優位になった。浅田はキム・ヨナを意識し、競技後、涙を流すことが頻繁になった。キム・ヨナはあまり涙を見せなかった。浅田とライバル関係を尋ねた質問には「浅田に勝つためにフィギュアをしているわけではない」と一線を画した。

キム・ヨナと浅田とのライバル戦のハイライトは2010年バンクーバー冬季オリンピック(五輪)だった。ショートプログラムで浅田はきれいな演技で大きな拍手を受けた。その熱気が冷める前に登場したキム・ヨナが完ぺきな演技で78.50点を受けた。浅田より4.72点が多い世界新記録だった。小さくない点数の差に浅田は動揺した。

2日後、フリースケーティングではキム・ヨナが先に出て150.06点を受けた。合計228.56点。結局、金メダルになったこの点数は世界新記録だった。その後に出てきた浅田はジャンプで何回もミスをした。結局、競技が終わった後、浅田はお手洗いに駆け付けて泣いた。浅田は銀メダルを取った。

その後、キム・ヨナは自身だけに集中した。2011年世界選手権を終えて1年以上休養した。そして、2012年7月「2014ソチ冬季五輪を終えて引退する」と、氷板への復帰を宣言した。キム・ヨナはソチで銀メダルを獲得した後、惜しげもなくスケートを脱いだ。

浅田は引退時点を悩んでいた。五輪の金メダルに対する心残りがあり、自身の後援収益を配分している日本氷上競技連盟の立場も考慮しなければならなかった。その間、浅田は下り坂を迎えた。昨年12月、日本選手権では女子シングルの出場選手24人のうち12位にとどまった。2018平昌(ピョンチャン)冬季五輪の出場も不透明だった。結局、10日、引退を宣言した。

キム・ヨナは2014年、引退したごろ「真央とは子どもの時から10年以上競争してきた。今後も私たち2人のように比較される選手はいないだろう。似ているところが多かったので、その心境が理解できる」と話した。浅田も12日、引退記者会見で「キム・ヨナと私は、お互いに良い刺激を与えたり、もらったりしていた存在だった。共に成長することができるように励ました」と話した。10年にわたった2人のライバル関係はそのように思い出に残った。

4月 132017
 

東スポWeb によると。

 12日に行われた浅田真央(26=中京大)の引退会見で、最後の最後で結婚の予定に話が及んだ。真央は「ご結婚の予定ですか? ないです。お相手がいれば、その方と一緒に(ここに)入れたんですけどね」と不意の質問にもニッコリ。司会者が“締め”としての質問をさらに報道陣に求めると、台湾メディアから「愛ちゃん(卓球の福原愛)みたいに台湾の人と結婚はいかがですか? 暖かい所、台湾でのんびりすることはありますか?」と今度は一気に国際結婚話に。

 すると真央は「そうですね。愛ちゃんとお友達なので、もし台湾の方でいい方がいればご紹介してもらいたいと思います。あと、行ってみたい国が台湾なので愛ちゃんに案内してもらいます」と“乗り気”だった。

 台湾でも真央は有名。「国民女神」と呼ばれ、現役中から取り上げられてきた。引退報道はもちろん、この日の会見の内容も各メディアで速報。特に台湾関連のくだりは詳細に伝えられ、アップルデーリー(電子版)は「浅田真央が福原愛にボーイフレンドを紹介してもらいたい。台湾に嫁ぐことも拒絶しない」との記事を載せた。

 これについて読者からは「同じスポーツ選手を探せばいい。お互いを理解できる」「俺、(お相手になっても)いいよ~」「荘智淵(卓球男子選手)がいいよ」などと様々な反響が寄せられた。

 また、中国のファンはSNS上で「一つの時代が終わった。第2の人生も順風満帆でありますように」などとエール。中には「台湾は国家じゃないよ」という複雑なコメントも寄せられていた。