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6月 152018
 

 東京ディズニーシーを運営する株式会社オリエンタルランドは14日、東京ディズニーシーを拡張し、『アナと雪の女王』など人気映画をテーマにした新エリアを開発すると発表した。2022年度中の開業を目指す。

 新エリア(テーマポート)のテーマは「魔法の泉が導くディズニーファンタジーの世界」。『アナと雪の女王』『塔の上のラプンツェル』『ピーター・パン』を題材とした3つのエリアと、ホテル1棟で構成され、4つのアトラクションが新設される。
 『アナと雪の女王』エリアには、アナとエルサが暮らすアレンデール王国が再現され、アトラクションでは、映画の名曲と共にボートに乗って2人の物語を体験。『ラプンツェル』エリアでは、ゴンドラに乗って、映画の中で描かれたランタンフェスティバルを訪れるアトラクションが、『ピーター・パン』エリアでは、海賊たちと戦う大型アトラクションと、ティンカーベルの住む妖精の谷“ピクシー・ホロウ”を訪れるアトラクションが用意される。いずれのエリアにも、作品の世界観を反映したレストランが導入される。
 開発面積は約14万平米で、オリエンタルランドは「東京ディズニーシー開業以来最大」と発表している。追加投資額は約2,500億円。
 また、各施設のオープンをもって、ディズニー社と同社間で締結している、ディズニーテーマパークおよびそれに関連するライセンス契約期間を、現行では最長2046年までであるものを、最長2076年まで延長する

6月 132018
 

日刊スポーツ によると。

 フィギュアスケート2010年バンクーバー冬季五輪銀メダリストで、昨年4月に現役引退した浅田真央さん(27)が8日、茨城県庁で始まる「浅田真央展」のオープニングセレモニーに出席し、同県の名産、納豆とさつまいもへの愛を語った。

 現在浅田さんは自身がプロデュースするアイスショー「浅田真央サンクスツアー」で全国をまわっている最中。今回のショーは1公演につき10曲以上も滑るハードな内容。その出番直前には、力を蓄えるために必ず納豆ごはんを口にするという。「どこに行っても納豆があるか確認しますが、茨城では心配しなくても大丈夫ですね」とうれしそうに話した。ちなみに、納豆ご飯には、温泉たまごとのりをつけることもあるそう。

 全国有数の名産を誇るさつまいもも「週3日は食べる」という大好物。いつもは自宅近くで売っている焼き芋を買って食べるそうだが、茨城では干し芋が有名。浅田さんは「帰りに買って帰りたい。いや、買って帰ります!」と言い換えて強い“さつまいも愛”を示し、周囲を和ませた。

 公共施設初となる今回の展示は、茨城県庁舎の25階で8日から17日まで開催され、入場無料。伝説となったソチ五輪フリーに着ていた衣装など約70点の写真と衣装が飾られている。

6月 022018
 

東スポWeb によると。

 昨年4月に現役を引退したフィギュアスケートの元世界女王・浅田真央(27)が22日発売「美的7月号」(小学館)に登場し、「美しさ」の秘訣を語った。

 競技引退後、アイスショー出演やPRイベントに登場するなどの活動を行っている浅田。今回は、初めて美容誌の表紙に挑戦した。撮影では、音楽に合わせて伸びやかなボディーで次々とポージングを披露した。

 8ページのロングインタビューではスケートに対する思いだけでなく、「メイク」「料理」「笑顔の秘密」などプライベートまで赤裸々に語っている。「美」や「健康」への高い意識が伝わってくる内容になっている。

 食事について浅田は「パワーのもとは昔からお米! お寿司がこの世でいちばん好きかも。でも偏りなく何でも食べるようにしています。昔は野菜が苦手でしたが、20歳を超えて食べられるようになりました」と語り、バスタイムについても「普段は30分くらい半身浴をしてます。週に1度、溶岩浴&マッサージも行います。なるべく体を温めて、しっかりほぐすように意識」とコメントしている。

4月 022018
 

スポニチアネックス によると。

 フィギュアスケーターの浅田真央さん(27)が24日放送のTBS系「サワコの朝」(土曜前7・30)に出演。現役時代を振り返り、引退後の活動についても言及した。

 現在はアイスショーのプロデュースを手掛けるなど、フィギュアスケーターとして活動している真央さん。「選手としては終わってまたこれからスタートかな」と心機一転。料理教室に通ったり、スケート以外の活動も積極的に取り組んでいることを明かしたが、司会の阿川佐和子(64)に女優や歌手への転身の可能性を問われると、「本当に無理です」と全力で否定した。

 現役時代の節制から解放され、「深夜12時超えてからのポテトチップスは初めてやりました。チョコレートだったり、クッキーだったりも(食べました)」と告白。「幸せでした」と満面の笑みを浮かべたが、「5、6キロ太ってしまったので、そのあとが大変でした」と再び我慢の生活を送っていると語った。

 真央さんの活躍もあり、フィギュアスケートはすっかり人気スポーツに。阿川が「審査員の方々の採点があって、『あれは私の方が上の点よ』ということはありました?」と素朴な質問をぶつけると、真央さんは「ありました」と即答。「どう考えても理不尽だってことは?」と質問を重ねると、再び「ありました」と笑顔で答えていた。

2月 232018
 

NEWS ポストセブン によると。

「自信は正直ありました。しっかりと自分の滑りができれば、いいタイムが出るだろうと感じていました」。歓喜から一夜明けた2月19日、平昌五輪のスピードスケート女子500mで金メダルを獲得した小平奈緒(31才)はそう心境を明かした。
 ここまでの道のりは平坦ではなかった。2010年のバンクーバー五輪で団体パシュートで銀メダルに輝くも、個人種目ではメダル獲得ならず。2014年のソチ五輪でもメダルに手は届かなかった。
「ソチでは金メダル候補の最右翼といわれながら、500mで5位、1000mでは13位という悔しい結果に終わりました。満足のいく結果の出なかった小平選手は、スピードスケート王国のオランダへの武者修行を選びました」(スケート関係者)
 言葉が通じず生活様式や文化も違う中で、最初に鍛え直されたのは「闘争心」を持つことだった。内気で引っ込み思案だった彼女は、滞在2年目には周囲を引っ張るリーダーにまで成長していた。
「肉体的な強化や技術の向上に加え、食事や休養のとり方についても研究したそうです。帰国後は、管理栄養士の友人の協力を得て、調理に3種類の油を使うなど徹底管理。同時に、練習で疲れた体を睡眠で癒すマル秘アイテムを導入したそうです」(前出・スケート関係者)
 それが、高反発マットレスの『エアウィーヴ』だった。
「アスリートにとって、睡眠はベストパフォーマンスを引き出すために不可欠です。小平選手は、エアウィーヴを使用することで睡眠の質が上がって疲労回復もかなり早くなったそうで、海外の大会や合宿などの遠征先にも必ず持参し、使用しているそうです」(スポーツ紙記者)
 同製品はスキージャンプで銅メダルを獲得した高梨沙羅(21才)をはじめ、フィギュアスケートの浅田真央(27才)やテニスの錦織圭(28才)なども愛用している。
「今回の平昌五輪では、日本選手団からの依頼で約200人分のエアウィーヴが提供されていました。現地入りした選手から、選手村に用意されたベッドがかなり硬くて戸惑う声が上がり、選手団は“しっかりとエアウィーヴを活用するように”と、選手たちに改めてアナウンスしたそうです」

6月 202017
 

日刊スポーツ によると。

 今年4月に引退した元フィギュアスケート選手の浅田真央さん(26)が19日、都内で行われた寝具「エアウィーヴ」の10周年記念パーティーに、白地に花模様の美しい訪問着姿で出席した。

 浅田さんは腰を守るため、09年から薄型マットレスのエアウィーヴを愛用。11年から同社のブランドアンバサダーを務めており、この日は8本目となる新CMも発表された。現役時と変わらず、今も「体とお肌のため」に7~8時間の睡眠を確保。さらに今は「もう夏になるので、何も掛けてないです。そのまま寝ちゃっています」と明かし、出席者の笑いを誘っていた。

6月 012017
 

 フィギュアスケートの浅田真央さん(26)が現役を引退してから、1カ月が過ぎた。浅田真央のすごさとは何だったのか。この間、ずっと考えてきた問いは、今も頭に残り続けている。この場を借りて、私が1年半彼女を取材した中で、感じたことを記してみたい。(以下、選手時のことを書くため、敬称略)

 浅田の引退に際し、多くの人が彼女に感謝のメッセージを贈った。その中で、はっとさせられたものがあった。人気漫画家江口寿史さんが、4月12日に自身のツイッターに上げたものだ。「ソチのフリー演技ずっと忘れないよ。」のコメントに添えられていたのは、ソチ五輪の演技ではなく、練習の一コマを描いた絵だった。髪を後ろに1つにまとめ、シンプルな黒いタンクトップを着た姿。両腕を体の後ろにまわし、顔は進行方向であるこちらへと向けられ、次の動作に移ろうとしている。すぐに、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳ぶ直前の、ドキドキするあの一瞬を連想した。何かに挑むために、黙々と練習する姿。浅田の魅力が、鮮やかに捉えられていた。

 現役最後の演技となった昨年12月25日、全日本選手権のフリー。前日のショートプログラム(SP)では、シーズン4戦目にして初めて試合でトリプルアクセルに挑み、失敗。8位という厳しい位置でフリーを迎えた浅田の表情は、引き締まっていた。演技前の6分間練習。わずかな時間を残し、浅田がトリプルアクセルの助走に入ると、会場全体ににわかに緊張が走った。両腕を後ろに引き、反動をつけ、左足で踏み切って跳ぶ。3回半回りきって着地すると、止まっていた時間が再び動きだすように、わっと拍手と歓声が響き渡った。私も体に震えを覚えていた。取材中なので、涙があふれそうになるのをこらえた。スポーツ取材をして、初めてともいっていいぐらい打ちのめされた瞬間だった。

 結局、直後のフリー本番では、冒頭のトリプルアクセルで転倒。フリー12位で、合計12位に終わった。GPフランス杯後から全日本までの約1カ月間、浅田は3回転半の練習を行っていた。大会会場である大阪に入り、急に精度は上がってきたが、それでも跳べるのは何本かに1本。ジュニア時代から浅田を教えてきた小林れい子氏によれば、10年バンクーバー五輪直前の確率は、ほぼ100%だったという。本来ならば、試合でできる精度には仕上がっていなかった。それでも浅田は、トリプルアクセルにこだわった。SPの後、リスクがある中でなぜ跳ぶのかの問いには「分からない」と答えた。実際、明確な理由は、なかったのではないだろうか。“挑戦の象徴”。羽生結弦がそうたたえる通り、浅田は最後の演技まで、アスリートとしての意地を通した。

 翌日、ある場所で浅田を待った。これからどうするのか、膝の状態はどうなのか。頭には聞きたい質問がいくつかあった。だが、いざ本人が現れ、顔を合わせた瞬間、質問は吹っ飛んだ。まず口から出てきたのは「感動した。いいものを見せてくれて、ありがとう」という言葉だった。浅田は「ありがとうございます」とうれしそうに笑っていた。限られた時間の中で自分の感想を伝えるなど、記者としては失格だと思う。だが、伝えずにはいられなかった。

 私は画家になりたかった。高3、1浪目と2度、いくつかの美術大学の油画科を受けて、すべて落ちた。絵描きとしての限界に気付き、代わりに古今東西の美術作品を見て、勉強するようになった。なぜ、この作品がすごいのか。答えは容易に見つかるものではないが、とにかく見て、考えた。2浪目に東京芸大芸術学科に合格し、そこから4年間、美術史を学んだ。青春を美術に捧げてきた私にとって、これまで圧倒的な感動とは美術作品を前にして得られるものだった。例えば、ロンドンのナショナルギャラリーにあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」の素描を見たとき。あまりの存在感に、体が震え、しばらく立ちつくすしかなかった。浅田の最後のトリプルアクセルを見たときは、その時の感覚に近かった。卓越した技術の上にある、その人にしかできない表現。スポーツの中にも、圧倒的な美しさと感動があることを、浅田があらためて教えてくれた。

 「優れた芸術作品は、必ず言うにいわれぬ或るものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実生活上の言葉も為す処を知らず、僕等は止むなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、しかも口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。そういう沈黙を創り出すには大手腕を擁し、そういう沈黙に堪えるには作品に対する痛切な愛情を必要とする」。(小林秀雄「モオツァルト」より)

 考えてみれば、浅田を取材し、いつも感じていたのは無力感だった。演技を美しい、素晴らしいと感じるが、昔読んだ小林秀雄の文章の一節通り、言葉でそれをうまく表すことが出来ない。口にすればうそになってしまう。私たち記者は、その葛藤の中で、謙虚に言葉を重ねていくしかないのだろう。なぜ、浅田はすごいのか。これからも彼女を追いかけながら、考えていきたい