イナバウアー、加点につながらない技に魂を込めた荒川静香の思い

スポーツ報知によると。

 天皇陛下の生前退位により4月30日で30年の歴史を終える「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、あらためて当時を振り返る。第18回は平成18年(2006年)。(この記事は2018年9月9日の紙面に掲載されたものです)

 トリノ冬季五輪、第1回ワールド・ベースボール・クラシック、サッカーW杯ドイツ大会…。平成18年はスポーツの話題に満ちた一年だった。中でも、トリノ五輪フィギュアスケート女子で、アジアの選手として初めて金メダルに輝いた荒川静香さん(37)が世界中を魅了した、しなやかに上体を反らせるイナバウアーは、12年たった今も国民の記憶に残っている。同五輪から導入された採点法では技術的な加点につながらないにもかかわらず、荒川さんは、なぜこの技に魂を込めて、見せたのか。(甲斐 毅彦)

 荒川さんの耳には、フリー演技でイナバウアーを見せた瞬間にパラベラ競技場に巻き起こった喝采が、12年たった今も残っている。無心で舞っている中で、歌劇「トゥーランドット」のバイオリンの音色がはっきりと聞こえたのも、その数秒間だった。最高水準の得点が求められるジャンプ、スピン、ステップ、スパイラルとは違い、必ずしもやる必要はなかった技を見せた瞬間だった。

 「スパイラルにはポジション保持の秒数、スピンには回転数…といったことが気になりながら滑っていた中でイナバウアーは唯一、そういったルールから解放されて、何も考えずにできる技でした。五輪の空気をそこで一気に感じましたし、見ていてくださった方の声や音楽もそこだけが聞こえて。記憶に一番色濃く残る瞬間でした」

 自分の出番直前に演技していたサーシャ・コーエン(米国)には視線を送らず、ヘッドホンで「トゥーランドット」を聴き、ライバルに送られる歓声を遮断。完全に自分の世界に入り込んでいた。

 実は、イナバウアーを大会直前まで封印していた。前大会の2002年のソルトレークシティー五輪で起きた採点・判定の不正事件を受け、フィギュアでは04年からジャンプやスピンなどの技術点に明確な基準を設けた新採点法が導入されていた。柔軟性を生かした優雅なポーズを得意とする荒川さんの長所が加点されなくなってしまっていたのだ。05年3月の世界選手権(モスクワ)では9位と惨敗。自分の滑りを見失っていた。

 「点数にならないものは省くような状況にあった中で、ファンの方から『イナバウアーは最近やらないね』と言っていただく機会が増えた。あ、そんなに人の記憶に残っていた要素だったんだ、と。それが私らしさなのかもって気がつきました」

 高得点という「記録」を狙うのか。見る人の心に「記憶」を刻み込むのか。スパイラルなどの技術レベルアップのためにトリノ開幕3か月前に就任したニコライ・モロゾフ・コーチは、フリーのプログラムにイナバウアーを盛り込むことにゴーサインを出した。「記録」と「記憶」の両取りを狙ったのだ。

 「記録を重視するコーチだったのですごく意外でした。数秒間でも息を整えるのと、イナバウアーで無呼吸状態になったままとでは、後半のジャンプでのリスクは変わってくる。それでも私の個性もしっかり踏まえた上でプログラムを考えてくれて、目覚めたと言いますか、最後に背中を押してくれることになりました」

 トリノ五輪の日本勢唯一の金メダルの影響は大きかった。荒川さんが、日本フィギュアスケート発祥の地と言われる、地元仙台の練習環境の悪化を懸念する発言をすると、行政が動き、経営難で閉鎖されていたアイスリンク仙台が営業を再開。そこからソチ、平昌で連覇した羽生結弦(23)が巣立ち、聖地と呼ばれるようになった。

 イナバウアーは今も社会に影響を与え続けている。直後に便乗したせんだみつおの「ナハバウアー」はあっという間に忘れられたが、大相撲の幕内・琴奨菊の「琴バウアー」、卓球・張本智和の「ハリバウアー」、甲子園で金足農高ナインが校歌を斉唱する時の「カナバウアー」…。13年たった今も反り返るポーズにはイナバウアーがもじって命名されている。

 「イナバウアーは反ることではないので…(苦笑)。違った認識で広めてしまったという申し訳なさはあるのですが、違う競技でも誰かが反ったら連想していただけて、記憶に残すことができたのかなと思うと、すごく光栄なことだと思います。時間とともに普通は薄れていくものが、いまだに覚えていていただけていることは、私にとって何よりの結果だと思います」

 ◆「トリノの女神は荒川静香にキスをしました!」名実況の刈屋アナ「ライバルにも敬意を」

 フィギュアスケート女子の生中継で、荒川さんの金メダル獲得の瞬間を実況したNHKの刈屋富士雄アナウンサー(58)=現・解説主幹=の「トリノのオリンピックの女神は荒川静香にキスをしました!」という言葉は、04年アテネ五輪で男子体操団体の金メダルの瞬間を「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」と伝えた時と並んで名実況として話題になった。

 刈屋氏が当時を振り返る。「あの時はライバルだったスルツカヤ(ロシア)、コーエン(米国)、荒川の誰が金メダルを取ってもおかしくない状況でした。でもフリーの当日朝、3人の練習を見たらスルツカヤとサーシャの調子が落ちていた。これは金を取るな、と確信して朝から夜までずーっといい言葉はないかと考えたんです。思ったのはフィギュアの女神というのは気まぐれだな、ということ。その日に限って最高だった人しか選ばれない。ライバルの2人に対しても敬意を込めたかったんです」

 プログラムの後半約2分は、同席した解説の佐藤有香氏が技の名前を発言しただけで、実況の刈屋氏はあえて言葉を発しなかった。「見てもらえば伝わる。もう言葉はいらないと思った」。イナバウアーは、名アナウンサーをも沈黙させてしまったのだった。

 ◆荒川 静香(あらかわ・しずか)1981年12月29日、東京・品川区生まれ。37歳。幼少時代は仙台で育ち、5歳からスケートを始める。小3で3回転ジャンプを飛ぶ。東北高時代に長野五輪出場。早大教育学部卒業後、プリンスホテルに所属。04年世界選手権優勝。06年トリノ五輪で優勝後、プロスケーターに転向。13年に結婚。1女1男の母。166センチ。

 ◆イナバウアー 足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技。1950年代に活躍した旧西ドイツの女性フィギュアスケート選手、イナ・バウアー(2014年12月死去)が開発した。本来は上体を反らせる必要はないが、反らす選手は多い。

 ◆3歳長女と「一緒にスケート」も技の継承なし?

 現在はプロのスケーターとして活躍している荒川さんは昨年5月に第2子の長男が誕生。長女は昨年11月に4歳になった。「一緒にスケートを楽しめるようにはなって来ました」というが、イナバウアー継承の可能性は今のところないようだ。「(母親としては)競技者への道を、とはいまだに思うことはなく、本人が強く願えば応援したいとは思います。子どもにはたくさんの経験をして、その中から楽しいから頑張れそう、と思えるものと出会ってくれればと思います」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください